表現の裏側を読むこと
僕は文筆家では全くありませんが、物を書くときには自分なりに気を付けていることがいくつかあります。とはいっても誰も傷つけないように~~みたいなモラル的な話とはちょっと違います。というのも、その点についてはそもそも特別に気を付けるまでもなく当たり前に満たされるべき点だと思ってるし、どんだけ気を付けて書いても穿った見方をする人はどうしてもいるから当たり前の基準以上に気にしすぎる必要もないとも思ってるからです。
じゃあ何に気を付けてるのかというと、これがなかなか表現の仕方が難しいんですけれども、まあなんかすげー細かいところです。例えば……
・意味が通るかどうか
1文の中でてにをはがちゃんとしてるかみたいなクッソ初歩的なところ(それでもたまに間違うけど)から、段落レベルまでズームアウトして見てみたときの理論の流れとか、問題提起や話題提起の部分と着地点が対応してるかどうかとかまで、「しっくりくる文章」になってるかどうかは何度も何度も何度も何度も確認します。大事なことなんだけどもうちょっとコスパよくできるようになりたい。
ちなみに感情が昂ってるときの文章はこの辺が怪しくなる傾向があります。ポケモンスカーレットの怪文書とか。
・「お作法」みたいなのを破るか否か
僕がよく使うもので言うと3点リーダーが一番分かりやすい例。あれって2つ続けて使うのが正しいとのことなんですが(つまり「…」ではなく「……」が最小単位)、2つ続けて使うとなんだか冗長に感じる場合も多く、そういうときは「…」でいいやっつって2個目のやつを省略します。Twitterのように字数制限があって窮屈になる場合は特に。
ルールに厳しい人が見たらちょっとモヤモヤするかもしれませんが、僕としては実際に読んでみた時のテンポを重視しています。
・十分と充分みたいなやつ
なんとなくの好みです。正式かどうかは気にしてません。
・ネットスラングや改変ネタ
あまりに広く人口に膾炙したためにもはや原型をとどめていない形で認識されている表現は除きますが、基本的にネットスラングや漫画のセリフ・コピペ等の改変ネタを使う場合は、元ネタを一度調べ、原文になるべく寄せたフォーマットで利用・改変しています。
みたいな感じ。
こんなことしてるから1つの文章を書くのにもめちゃくちゃ時間か掛かっちゃうんですよね。昔は全人類これくらい気を使っていくのが当たり前だと思ってたんですが、知り合いに「気にするは気にするけどそこまではしない」と言われ、丁寧というより神経質といった方がより適切なのかもしれないと自覚しました。
表現というものはただ文字に現れている表の部分だけじゃなくて、どうしてそういう言葉や言い回しが使われているのかみたいな裏の部分も立派な構成要素だと思います。ただ、文章を書くときのそれらに対する思考のリソースの配分は人それぞれなので、読み手に回ったときにどれくらい裏まで覗き込んでいくべきかは、その文章の書き手ごとに異なっているのかもしれません。
読み手にフレンドリーな文章を書くのであれば、中庸的な裏表の意識配分を見極めるとか、ターゲットを自分と同じような読み方をする人に絞るとか、そういうプランが必要になってくるんだと思います。ですがこのブログは僕の日記なので僕自身に最もフレンドリーになるように書いていこうと思います。好き放題宣言。
とはいえもうちょい省エネ・カジュアルに書きてえなあ~~~~。こんなの書くのに1時間半くらいかかった。